十二人の怒れる男(12 angry men)
"過程か、結果か、未来か。人間の判断とは"
にしても暑い日が続きますね。北海道が恋しくなります。からっと晴れて気持ちいい。なおかつ夜はどれだけ飲んでも肌寒さに酔いが冷める。すばらしいです。
ちなみに上京して感動したのは、1年中自転車に乗れる!ということでした。
はい、昨日の"マレフィセント"では、視点が変われば事実が変わるみたいなことを書きましたが、今回はその過程みたいなお話です。"マレフィセント"では変わってからの見方でしたが、今回は見方を変えていく過程です。
作品自体は結構古くて、なんと1957年の映画。でも今見てもアッと驚く展開です。すごい。
お話は、陪審員制度で無作為に選ばれた12人が、父親を殺してしまった青年の判決を出すというものです。初めは1人だけ無罪に入れていたものの...なお話です。結末をいいます、逆転劇です。
たぶん初めてのネタバレですが、結果を知っていてもおもしろいのでご安心を。
さてさて、今回お話したいのは、人の判断ってなんなんだっていうことと、それを踏まえた上での未来の可能性の2点です。
1点目。この作品の中で、いや、裁判で重要視されるのが目撃者の証言。今回もかなりキーになる話題です。しかし、作品を見ていくうちにそれは事実ではなく、目撃者の主観が入ったもの、欲求が混じったものであることがわかります。思いっきりネタバレです。すいません。
ひとつひとつを大事に検証すること。主観を排除して事実を見つける作業。すごく難しいですね。なんでかって人間は欲求の塊だから。
最近、事実ってなんなんだと思うようになりました。中学生で止まっている歴史の勉強をもう一度したいなあと思います。
2点目。容疑者が青年であるということで、大事になってくるのがその青年の生い立ちと周りの状況、そして未来です。青年だから〜、まだ若いから〜といって許されることでは決してありませんが、まだ見ぬ可能性を秘めていないとは言えません。そこらへんもこの映画で焦点となってきます。
あ、あと1点ありました。無関心。
最近はSNSの流行で、人と人とのつながりが希薄になっているとはよく言いますが、それって本当にSNSだけのせいなのか。そんなことをこの作品を観て思います。思い思い自分の時間があり、でもやらなければいけない義務も存在する。そしてそれは1つの命を左右してしまう。そんな中でも自分の欲求を優先してしまう。なんでかって無関心だし、どうでもいいから。
本当にこの映画は考えるきっかけを与えてくれます。昔の映画だから〜なんて敬遠せずに、是非一度観てみてください。十分に2時間を費やす価値があると思います。
みなさんは無罪にしますか?有罪にしますか?