ソロモンの偽証

"見えてくるもの、見えなくなるもの"

 


『ソロモンの偽証』予告編 - YouTube

 

最近やっと就活が終わりまして、今までの就活を振り返ってみると、すごく無駄が多いと思いつつも、必要な時間だったとも思います。終わったからこそ見える景色があって、当時の悩みなんてほんとにちっぽけだったなって思います。

 

まあそんなわけで終わってから飲んでしかいないので久しぶりの更新となりました。前置きはさておき、今回観たのは邦画、"ソロモンの偽証"。昨年話題となりました、中学生がある同級生の死の真相を見極めるために、自分たちで裁判を開く〜といったもので、宮部みゆきさんの同名小説が原作です。ちなみに原作は読んでません。

 

はい、この映画、「前編・事件」と「後編・裁判」の2作あって、なんと早稲田松竹は今日まで一気に上映しておりました。いつもお世話になってます、早稲田松竹。そして向かいの喫茶店・エスペラントにもなかなかお世話になってます。

 

余談はさておき(エスペラントと松竹はほんとにオススメです)、感想に移ります。

の前に、タイトルについてちょっと考えてみるというか確認しておくと、「ソロモン」と「偽証」。「ソロモン」は賢い人の例え〜で、「偽証」は読んで字のごとく、偽りの証、ここでは偽りの証言です。そんなわけでこの作品のタイトルは「賢い人の偽りの証言」なんです、きっと。

この作品の中でのソロモンは誰なのか。そんな視点もおもしろいです。

 

この映画は前編のある事件が起きてから、主に藤野涼子ちゃん(主人公)を中心として様々な人の動き、考え、証言を見ながら、後編の裁判にてその証言を検証していく流れです。事件が起きた時の警察や学校の動き、それをかき回す「告発書」の存在、騒ぎを大きくするマスコミ...と、本当にいろんな動きがあります。

これを観ながらどんなことを考えたかって、

・マスコミの操作性

・人の心は読みにくい

・いいように捉える

なんてこと。

でもほんとに大事だったのは、中学生だから成り立つセリフ、そして涙。

大人になりきれない宙ぶらりんの状態だからこその悩み、そんな状態から見る「オトナ」というもの、傷つく・傷つけるということ、感じるもの。年を重ねるごとに見える世界が変わっていくというのはおそらく誰もが体験することだとは思いますが、この作品は、年を重ねることで逆に見えなくなっていくってことを描いているように思います。

 

例えば自分に息子や娘がいて、彼・彼女が何を考えているのか、きっとわからないでしょうし、自分が中学生のとき、親が自分のことをわかってくれていたかといえば、なかなかないように思います。

不安定な時期の不安定な思考、なんでも吸収してしまう時期にオトナはどういう対応、どういう接し方をすればよいのか。大学生の今でさえわからないのに、これからもっとわからなくなるような気がして、少し悲しい気分になります。

 

見えるように努力しても、だんだん見えなくなってくるものもある。そんなことを考えた作品でした。

 

ちなみに中学生の子役(?)の演技は微妙なところ。しかしながら脇を固める俳優陣が素晴らしい。CGは甘いものの、光と影は絶妙。エンディングのテーマはなんとU2。賛否両論ありますが、爽やかに終わるためには必要だったのではないでしょうか。

 

今何が見えていて、何が見えていないのか。見えなくなったものについて考えるのもなかなかおもしろいかと思いました。